Richard Henry Brunton

店名「ブラントンズ」は、開国時の明治初期に日本全国の灯台設置と横浜市街の整備のため来日し活躍した、リチャード・ヘンリー・ブラントンに由来しています。(人物については下記をご参照下さい)

開国時の横浜には、欧米諸国の文化が多く入ってきましたが、ビールもその1つです。横浜元町は、日本で初めてビールが造られたと山手に近いのもあり、その時代に合わせ、この地にビール専門のバーを立ち上げることにしました。店内の雰囲気は開国当時をイメージしたもので、ご来店したお客様がゆっくり寛ぎながらクラフトビールを楽しめるように努めています。

リチャード・ヘンリー・ブラントン

1841年12月26日~1901年4月24日

明治元年(1868年)政府の招聘により来日した、お雇い外国人第1号のスコットランド人土木技師。日本沿岸各地に数多くの灯台を設計し、「日本灯台の父」と呼ばれている。

また約8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園、吉田橋「鉄(かね)の橋」の設計を行うなど、近代的なまちづくりに大きく貢献しました。

<横浜における設計・計画など>

横浜居留地測量 1868~70
電信敷設 1869
新橋・横浜間の鉄道意見書 1869
吉田橋(鉄の橋)架設 1869
居留地:下水道整備・マカダム式道路舗装
街路照明計画1869~71
水道計画 1870
築港計画 1870、73、74
新埋立居留地造成設計・施工 1871
中村川拡幅等設計・施工 1871
日本大通り設計・施工 1871
修技校開校 1871
横浜公園設計・施工 1871、72